オランダ・

ホスピス訪問

2019年6月、オランダ各地のホスピスを訪問し、介護やボランティア活動に従事している人たちに会える機会をいただきました。


患者さんの手を取り、時には抱きしめてあげる時、私は自分が、豊かに湧き出る命の水で満たされていることを感じます。 — そうして、少なくともその時だけは、私はその仕事を受けるに値するだけの、自我から解放された透明な存在でありたいと願います。今まで全く知らなかった、その人たちにこの世界で出会うことができ、彼らが私にこのような愛のふれあいの機会を与えてくれたことに深く感謝します。

Yoko Kobayashi

 

旅立ちのために 〜 身体を超えた愛

For the Departure

Love beyond physical body

 〜私が活動に至るまでと将来の展望

 

エッセイの全文 

 

幼少の時から星や宇宙の話が大好きで、いろんな本を読んでは空を眺めていました。ハイティーンズの頃よりそれが、生と死、宗教的な宇宙観や世界観に対しての人一倍強い関心へと変わってゆきました。東西を問わず宗教書や哲学書をたくさん読み、仏教と西洋哲学を専攻しました。死といっても、その時私が感じていたものは、必ずしも自殺の様な暗い闇のイメージではなく、むしろ、光と静謐、幻想的な何かでした。

大学を卒業する頃、日本では、脳死問題、ターミナルケア、安楽死に関する議論がメディアに取り上げられるようになっていました。卒論のテーマで取り上げようとしたのですが、まだその頃、論文として成立させるだけに十分な数の日本語の資料や文献もなく、クリスチャンでもなかった私はホスピスにコンタクトをこともできず、また卒業後の進路で選択することも一時断念しました。

 

 
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そうして私は、まず音楽の道を選びます。身体の柔軟性のきく若いうちに、体を使って覚えなければならない音楽の技量を習得しようと思い、音楽を専攻するためにオランダへと発ちました。

オランダで直接ホスピスでスピリチュアルケア師として働くことはできないままでした。けれども類似したボランティア活動として、ユトレヒト中央駅駅構内にある、サイレントセンターにて、礼拝のピアノ音楽担当兼そこに訪れる人たちの話を聞く聴講ボランティアを長年させていただく機会を得ました。

 

2014年9月に突然高熱を出し、臨死体験をしました。その後私の生と死に対する関心は、ますます直接的で深いものになります。また同じ体験をした人たちに、オランダ・ベルギーの臨死体験者ネットワーク(Netwerk Nabij Dood Ervaring Nederlnad) を通じて知り合うことができ、お互いの死に対する経験を分かち合い話し合い理解できるようになりました。ほぼ全員の人が経験していることは、身体から精神が離れたときに、この世では経験したことのない美しい純粋な愛の世界に行ったということでした。そしてこの世界に戻るよりも、むしろその純粋な愛の世界にそのまま住みたかったという思いを共通に持って再び身体に戻ってゆきます。6割強の人は過去になくなった愛する人(家族、友人など)に出会っています。臨死体験後1年2年と経つうちに、徐々に私自身の生が、同じ体験者の人たちやその体験と感覚を受け止められる人たちの愛と理解によって支えられて在るようになりました。そうしてそれが、死を間近に控えている人に、死は無になるのではなくてとても美しいところへの新しい出発なのですよ、というメッセージを伝えたい思いををますます強くさせました。

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2017年7月に帰国し、それを待っていたかのように、地元の加古川市が第三回ホスピスボランティアの養成講座を開始し、受講生を募集しているのが見つかりました。ボストン市が作成したホスピスケア養成コースに基づいた講義を終了し、2018年より西村病院を月2回訪れて活動しています。

2017年7月に帰国し、それを待っていたかのように、地元の加古川市が第三年度ホスピスボランティアの養成講座を開始し、受講生を募集しているのが見つかりました。ボストン市が作成したホスピスケア養成コースに基づいた講義を無事終了し、2018年より西村病院を月2回訪れて活動しています。

 
 
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今訪れてくる死の瞬間に怯え、痛みに疲れている人たち、体が思うように動かせずそうやって生きていることに失望している人たち、その人たちに、体がなくなった後も愛がこの世界に残ってゆくということ、またそに愛がこの世界と死んだ後の世界をつなぎ、両方に充満しているということ、そうして彼らが、終わりではなく、さらなる大きな愛と調和の世界へ旅立つということを伝えたいと願い、病院を、患者さんを訪れます。

患者さんの手を取り、時には抱きしめてあげる時、私は自分が、豊かに湧き出る命の水で満たされていることを感じます。天使が、そっと部屋に降りてきて、私たちのすぐそばにいるのを感じます。物質の身体を持つことのできない天使たちが、私の体と口を使って、彼らのメッセージを患者さんに運ぼうとしているような。 — そうして、少なくともその時だけは、私はその仕事を受けるに値するだけの、自我から解放された透明な存在でありたいと願います。そうして今まで全く知らなかった、その人たちにこの世界で出会うことができ、彼らが私にこのような愛のふれあいの機会を与えてくれたことに深く感謝します。

 

今後の活動としては、残された家族の方へのグリーフケアを学び提供できるようになりたいです。そうしてまた、グリーフケアの後も彼らがさらに充実した人生を幸せに進んでゆかれるために、ライフバランスの再設定や積極的な思考や行動を発展をお手伝いをする、ライフコーチング の提供を考えています。また、日本各地のホスピスとそこに従事する人との出会いを作ってゆこうと思います。一方で、オランダのホスピスへも訪問調し、システムや考え方など、日本の社会に紹介できるものがあるかを調査研究してゆく予定です。

 

ダライ・ラマの、死に関するコメント。「生の一部としての死」(英語)

死は、古くなった衣(身体)を脱ぎ捨てるようなもの、というのが印象的です。

(Facebookビデオ) https://www.facebook.com/DalaiLama/videos/10155508375907616/

 
 
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訪れる死を予兆し、うなだれるイエスと、それをなだめる天使。

クリスチャンであるかどうかに関わらず、この絵画は私たちの心に深く染み入ってくると思います。

一人一人の末期患者の方にも、このように天使はやってきて抱擁してくれているように感じます。私の願いは、どうか彼らがそれに気づいてくれることです。